欲求の実現こそが、幸福な人生を実現することなのだ、と、多くの人類はつい最近まで考えていました。しかし、飽食や環境破壊による影響が身に迫るにつれ、その欲求実現主義こそが地球をヒトが住めない星へと変えているかもしれないのだ、と気づき始めています。
しかし、一度手にした便利さは、そうそう手放すことはできません。
私たちは、あって当たり前の生活に慣れすぎてしまいました。
もう、我慢したり、手間をかけたりすることを、人生のどの場面においても想像できないかもしれません。どんなに美辞麗句を並べても、実際に自分が苦しんだり、悩んだりすれば、権利を盾に、富と時間を取り戻そうとするでしょう。
他者を信用できなくなった私たちには、将来を保証する富、すなわち蓄えが必要です。さらに、より多く自分のための時間をもとうと思えば、効率的に作業をすることが必要で、そのための道具と、場合によってはエネルギーも必要です。
蓄えと時間やエネルギーを得るには、それだけの食糧と物質が必要です。それがすべての人に行き渡るには、莫大な量の作物と、膨大な量の物質が必要になります。
他者を信用できなくなった代償はあまりに大きいことを思い知ります。
さらに、ありあまる物質社会で培われた価値観では、困ったときに権利を行使するのは当然で、その結果、当然、獲得すべきものは獲得する、ということになります。
こうして、欲張りであることを、権利であると勘違いしてしまった私たちは、まったく我慢のできない人間になってしまったのです。

およそどこの先進国でも、「ないと我慢のできない人間」が多いと予想できます。しかし、私たちは、今大きな転換点にいます。思い切った変更をする必要があって、それには、我慢が伴います。我慢を必要としない劇的な転換をできるための、大発明を期待していましたが、それもどうも間に合いそうにありません。

まずは、すべての人類がすこし我慢することを始めなければなりません。しかし、この少しの我慢には、とりくむすべての人類の理解が必要であると同時に、実はもっと深いところの変換も共有しなければなりません。それは、産業革命以降に構築された価値観を大きく変える、ということです。
その了解を得るには、やはり国や民族を超えた相互理解が必要なのです。

今、私たちは、限られた地球の資源を、分け合い、互いの存在を大切に思わなければならない時がきています。
多くの戦争を繰り返してきた私たちですが、それぞれの苦い経験を共有し、いかに地球上のすべての人類が、生物が幸福でいられるかを、全員で考えなければならない時代がやってきました。
大変、難しいことかもしれません。
しかし、それが叶えられたら、きっと、人類は新しい地球時代を開拓できるのだと、私は思います。