さて、「食べる」という、私たちがごく当たり前に行っていることが、生物が生きるうえで、いかに根源的な行動であるかがおわかり頂けたでしょう。
私自身、次々湧き出る様々な疑問を調べるにあたって、本を読んだり、博物館の方に教えて頂きながら、驚いたり、感動したり、また今さらながら大きく合点したりの連続でした。

実は、健康に繋がる食生活について述べるとき、それを聞く方の皆が皆、必ずしも、それに向って積極的でないこともあります。
それはそうです。やらなければいけないことに追われて、忙しすぎるような人にとっては、とにかく空腹だけは満たし、つぎつぎと役目をこなしていくことのほうが大切で、とりあえず今は、バランスを考えて、なんてことは後まわしにしたいところでしょう。
そういう時期は、それに邁進すべきで、聞く耳をもてなくも当然だと思います。もちろん、できれば、きちんとした食生活について、頭のすみで解っていてもらうと、とても役に立つことなので、無理にでも、としたいところですが、しかしながら、実際、私たちは食べるために生まれて来たのではありません。人間として生まれて来たということは、人間として行える活動をするために生きるのです。
ですから、その勢いやリズムがついているときは、それを優先したほうがいい、と私は考えます。
実際、気力にあふれる時期は、少々の不摂生があっても、意外にもってしまうものです。
しかし、不摂生に不摂生を重ねると、やがて気力はあるのに、体力がついてこない、ということになってしまいます。
さらに、若い時期を過ぎると、とくに気力だけでは足らず、基本的な栄養摂取ができているかどうかが、パフォーマンスの質に大きく関わってきます。
忙しさが一段落した暇にでも、改めて聞いて頂いて、バリバリを仕事をこなしていってほしい、と思います。

でも、それとは違う事情の方もいます。私たち人間は、考える生き物で、長い人生の中では、時にすべてが煩わしく、むなしく、辛いこともあります。生きることに前向きな気持ちになれないときがあるのです。

「食べる」ということは、直接生きることに繋がる、非常にポジティブな行動であるといえます。ですから、生きる希望を持てないとき、そこに直結する「食べる」ということに積極的になれないのは、当然のことです。

確かに、いくら健康で、長寿を得た現代にあっても、私たちは死を克服したわけではありません。有性生殖の生物に属する私たちは、ひとりひとりが特別な個性を持った個体として生まれ、いずれ死に行く運命にあります。それなのに私たちはなぜ生まれたのでしょう。
この疑問をだれしも、一度は持つのではないでしょうか。
なぜ、私たちは生まれたのか。

実は、この問いにきちんと向き合うことは、食べることを大切に考えなければならない私には、とても重要なことでした。
生きるかぎり、私たちは食べなければなりません。逆に、食べられなくなった時、生命は存続の危機を迎えます。
自発的に食べたい、と思うには、ベースに「今はまだ死にたくない、明日も生きねばならない」と思うことが必要なのです。
そして、生きたい、と望むには、生まれたことを肯定しなければならないのです。

この本を書くにあたり、宇宙や地球のなりたち、生物の発生などに関する多くの研究結果に出会いました。私が知り得たことは、膨大のデータのうちのほんの入り口のわずかな部分でしょう。しかし、そこから見えたことは、「これまでに起きたすべてのことは、決して偶然ではなく、おこるべくして起きたことだったのだ」ということでした。だから、私たちは、生まれるべくして、生まれたのです。そしていつか、寿命を迎えるか、あるいは別の理由でこの世を去る日がきても、それはやはり起こるべくして起こるのだろう、と考えています。

私たちの存在は、ほんとうにちっぽけで、地球という星の中でうごめく成分のなかの、一点でしかないのかもしれません。そして、広大な宇宙の中においては、一瞬の出来事なのかもしれません。それでも、「そこに間違いなく、存在するべくして存在した」ことの荘厳さに気づくと、自分や周囲の生き物が生きている事の「正しさ」がわかる気がします。

私やあなたが生まれ、存在すること自体は正しいのです。今、命があるということは、その正しさが持続している、ということなのです。さらに、お腹がすくということは、明日もその正しさが続く可能性の現れなのです。

どんな明日が来るかは、誰にもわかりません。大方、苦しい事やつまらない事がまっているのでしょう。でも、命あるかぎり生き、お腹がすいたら食べて、命の可能性を保ち続けられれば、少なくとも、「生きる」という絶対的な正しさに背いてはいないのです。
未来の「生きる」に繋がる「食べる」は、すなわち、「正しさを貫く勇気なのだ」とさえ、感じます。

人間の繁栄における自然破壊などを考えると、私たちの存在は悪であるのではないか、という気もします。しかし、今、私たちは、「知る」ことで、新たにすべきことを見つけようとしています。何が、維持をもたらし、何が破滅をもたらすのかも、多くの歴史を経験として、知ることができるのです。生きるとは、やはり、決して楽なことではない、とつくづく感じます。

だから、今日も、お腹がすいたら、体が「生きるべきだ」と言っているのだと思ってください。
そして、その声があるかぎり、勇気をもって生きていきたい、と私は思います。