食べるはいつから 食べるはこれから 〜博物館から始まる食育〜

〜博物館から始まる食育〜 私たちにとって最も身近で重要な「食」。科学と歴史の知識を培いながら、何を、どれだけ、なぜ必要なのか、を深めていくと、生きるヒントがたくさん見つかります。日本国内のすぐれた博物館で、ぜひ触れてみましょう。

生命の誕生、人類への進化

こうして、真核生物たちはそれぞれに様々な機能を獲得して、生き抜く模索をしました。
中でも、一つの細胞で一つの核をもち、一つの生命体である生物を「真核単細胞生物」として、一つの生物としてのグループを確立しています。ミジンコやゾウリムシなどがそうですね。

一方、真核細胞の中には、複数の細胞が集まることで生き抜く方法を模索するものも表れました。酸素や、太陽光を克服する術を獲得したからといって、環境は生命にとって厳しいことにかわりはありません。同じ真核細胞のなかにも、耐久力には個体差があった、と考えられます。その弱い部分を複数集まってカバーし合えば、なんとか凌ぐことができる場面は多かったのでしょう。

このように多細胞化するもののうち、葉緑体をもった細胞で構成されたものが植物に、葉緑体を持たなかったものは動物や菌類へと進化していった、と考えられています。

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やがて、細胞どうしをくっつける物質を生成する細胞があらわれ、複数の細胞で一つの塊を構成し、それぞれの細胞が生き抜く、という方法が確立されました。多細胞生物の登場です。真核細胞が誕生してから8億年ほど経ったときのことでした。
さらに、そうして集まるうちに、遺伝情報は、内部のもっとも守られたところに位置させ、その細胞に子孫を残すの機能を専門に担当させる、という方式も編み出しました。多細胞生物は、「生殖」という機能も持ったのです。

7億年前には、藻類と菌類が共生したかたちの生物である地衣類という生物が、地上に上陸しました。

今から7億年ほど前(約7億3000万年前~約6億3500万年前)になって、ようやく最後の地球全面凍結が終わりをつげ、再び地球に温かさが戻り始めます。
すると、生物の増殖はいよいよ勢いを増し、種類もさまざまになってきました。
オーストラリアのエディアカラ化石群(1)は、約6億 - 5億5千万年前に生息していたと思われる多くの生物が化石となってその姿をとどめています。この化石から、この頃すでに、多くの多細胞動物が多様に進化していたことを物語っています。

 エディアカラ化石のクラゲの仲間とみられるものの化石
(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ediacaran_'jellyfish',_Vendian,_Ediacara_Hills,_south_Australia_-_Houston_Museum_of_Natural_Science_-_DSC01379.JPG?uselang=ja) 

また、このころ、すでに生物は、子孫の残し方においても、新しい方法を獲得していた可能性がある、とする研究者もいます。
細胞の増え方とはそもそも元々あったものが同じものを作り、分裂し、別れる、というものです。(原核細胞は2分裂していく)
しかし、そこに違いをもつものが現れたのです。
それは細胞の真核化に伴って起きてきました。真核細胞は、ふだん核膜で遺伝情報を守っていますから、分裂するとき、つまり、子孫を残すときだけは核膜を消し、さら遺伝情報をコピーして渡す必要があります。

さらに多細胞生物になると、多くの細胞でできた体を、半分に割ることはできませんから、生殖に特化した器官をつくり、そこで生殖用の単細胞を作る必要がでてきました。

さらに、自分と同種の他者の細胞と組み合わせるものが出てきました。
自分と「同じ」なのではなく、「似た」ものをつくり、残すのです。親が、自分とは違う子供を残す、ということは、大変な賭けです。安定した環境であれば、自分と同じものをふやしたほうが早く、簡単で確実だと思えます。しかし、残念ながら、地球の環境というのは、時にあっさり変化し、それまで繁栄していた生物があっという間に消え去ってしまう、ということが何度も起きました。生命は、その消滅の危機を何度も経験してきたのです。

その経験からか、自分のもっている情報と、相手が持っている情報を半分ずつ出し合い、組み合わせて、「間の子」をつくる細胞が現れました。この方法によって生まれる子どもは、種が同じなので、基本、親と同じ形質を持ちますが、親とは違う情報をもった細胞です。じつは、現在でも生息している原始的な生物のなかには、その場の状況に応じて、単純なコピーを残す方法と、間の子をつくって残す方法の、両方を行うものがあります。この方法を始めた生物も同じように臨機応変にその方法を選んで行っていたのかもしれません。
しかし、その後、自分とは違う子供を残す、というやり方は、生物の子孫の残し方として、有効な手段の一つとなっていきます。
生殖専用の細胞ができ、その情報の持ち方や、役割によって雌雄の別をもつ有性生殖を行う生物へと、引き継がれてゆくのです。

2005年に南オーストラリア奥地の海底で、約5億6500万年前に生息していた管状の無脊椎動物と思われる生物の化石が発見されています。その化石の分析から、その生物が有性生殖を行う生物であった可能性が見られる、とされています。
この方法を確立していった(2)生物は、古いものは死に、新しい子供の世代に生命のバトンをわたし、居場所をゆずる、という形式になるようになりました。
「似た」子供、すなわち、「違う部分をもつ」子孫を残すことで未来への生命の可能性を広げた、と同時に、個体それぞれの「死」が始まったのです。


※(1)エディアカラ生物群は、約6億 - 5億5千万年前の先カンブリア時代の生物の化石と推定されている。
エディアカラ生物群は、地球全体が氷に覆われていた時期(スノーボールアース)の直後に出現し、その大部分がカンブリア紀の始まる前に絶滅した。

※(2)有性生殖への進化として、接合子による接合、分裂するもの、それがすすんで、雌雄が別れていく有性生殖となる、と考えられています。

※(3)カンブリア紀にはいると、突然、新たな生物群が出現している。これを見たダーウィンは大変とまどった、といわれている。
カンブリア紀は多細胞動物が大きく発展した時期で、進化生物学者のスティーヴン・ジェイ・グールドはカンブリア爆発と表現している。

食べて、食べられて、まわる P.26.27

さ・え・ら書房 目で見る進化 P.67
 
NHK高校講座 地学基礎 先カンブリア時代 
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/エディアカラ生物群 
http://ja.wikipedia.org/wiki/ハルキゲニア 
 
最初のSEX?化石から最古の有性生殖の証拠発見
ナショナルジオグラフィック ニュース
 
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=90014 

Wikiペディア/動物
抜粋「動物の起源については、旧来から多細胞動物の起源ではないかといわれたこともある襟鞭毛虫類がそれらしいということになっている。」

約5億4000万年前にまで進んでくると、生物の進化がいよいよ加速してくることが、化石の調査から、わかっています。化石は出土した地層の年代から、いつごろのものなのかを判断されます。地層からわかる時代区分を古い方から古生代、中生代、新生代とし、化石がどの時代のものかを判断するのです。

古生代に入る少し前(先カンブリア紀)、すでに生物が多様に進化していたことがこれまでにわかっています。しかし、そのころの生物は、クラゲやカイメンなど、やわらかい体組織をもった生物だったと考えられ、化石として残ることは稀だった、と考えられています。

しかし、古生代に入ると、これらの生物はすっかり姿を消し、それらとはまったく異なる生物たちが一気に現れます。

古生代は大きく6つに別れ、古い方からカンブリア紀・オルドビス紀・シルル紀、デボン紀・石炭紀・ペルム紀があります。
カンブリア紀(5億4200万〜4億8800万年前)
オルドビス紀(4億8800万〜4億4300万年前)
シルル紀(4億4300万〜4億1600万年前)
デボン紀(4億1600万〜3億5900万年前)
石炭紀(3億5900万〜2億9900万年前)
ペルム紀(2億9900万〜2億5100万年前)
カンブリア紀の地層は各地に見られ、多くの生物化石が確認されています。これは、このころの生物が硬い殻をまとったものが現れて来ていたため、残り易くなっていたのです。
さらに、その形状からは、「食べる」「食べられる」の弱肉強食の関係があったことが推測され、熾烈な生存競争が伺われます。
カンブリア紀の急激な生物進化の原因は、今でも様々な仮説があり、はっきりとは解っていませんが、生物の進化やその速度は、様々な方法があり、また私たちが思うよりも早くすすむことがあることを伺わせます。

古生代では、動物、植物、いずれにおいてもその増加が認められ、手狭になった海から、いよいよ地上へとその生存域を拡大していきます。シルル紀には植物が、デボン紀には一部の昆虫や魚から発展し四肢をもった生物が陸上に上がり始め、両生類が誕生したとされています。
石炭紀になると、大きな大木にまでなる植物が出始め、これが石炭となりました。また、両生類の中から、羊膜をもつ有羊膜類が誕生します。そして、まだ敵の少なかった陸上に卵を産む種が現れ、これらの中から、爬虫類やほ乳類の祖先(1)となるものが生まれていった、と考えられています。
ペルム紀には、種子植物が登場しました。さらに、歯の形状や、体温保持のしくみを持ちはじめたことが伺えることから、それが恒常性の起源となるのでは、と考えられる点から、ほ乳類型爬虫類とよばれるディメトロドンも現れます。

古生代のうちに、現在の動物群へと繋がるすべての門が出揃った、とされています。


※(1)爬虫類は発生初期のうちに、単弓類と双弓類の2種類の系統にわかれた、とされています。
そのうち、単弓類がほ乳類の祖先に、双弓類が爬虫類や鳥類に進化していった、と考えられています。

参考:Wikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/バージェス動物群
   Wikipedia:http://ja.wikipedia.org/wiki/ハルキゲニア 
http://ja.wikipedia.org/wiki/ディメトロドン
http://ja.wikipedia.org/wiki/有羊膜類

さ・え・ら書房 目で見る進化 P.68,69
童心社 遺伝子・DNAのすべて 夏緑 著 P.64,65
東海大学海洋学部 自然史博物館

中生代は、恐竜の時代とも呼ばれます。
恐竜は爬虫類に属します。したがって、中生代は爬虫類の時代だった、とも言えます。
中生代は、三畳紀・ジュラ紀・白亜紀に分けられます。
三畳紀(約2億5000万年前〜約2億1200万年前)
ジュラ紀(約2億1200万年前〜約1億4300万年前)
白亜紀(約1億4300万年前〜約6500万年前)

古生代に両生類から分岐した双弓類から爬虫類が生まれましたが、中生代のはじめ、三畳紀にはこの爬虫類のなかから恐竜が現れました。
一方、同じく両生類から分岐した単弓類はというと、やがてほ乳類になっていく系統や小型のものを除いたものは、三畳紀のうちに絶滅していた、と考えられています。

 DimetrodonKnight
ディメトロドンは、羊膜をもち、恒温性ももっていたのでは、と推測されており、ほ乳類の登場までに欠かせない存在と考えられています。


現在まで化石で確認される最古のほ乳類と考えられているアデロバシレウスの想像図。
Copyright:Nobu Tamura(画像はwikimedia commonsにリンク)

ジュラ紀に入ると恐竜は繁栄し、巨大化していきます。さらに恐竜の中から鳥類となるものが現れました。
また、このころ被子植物が誕生しました。
白亜紀は、引き続き、恐竜繁栄の時代でした。
恐竜が巨大化した理由のひとつとして、このころ二酸化炭素が増え、エサとなっていた植物が巨大化していたことも挙げられる、といいます。巨大な植物をエサとしていた恐竜が巨大化し、さらにそれを捉えていた肉食の恐竜がまた巨大化する、という連鎖だったのではないか、と考えられているのです。
また、巨大化することは、変温動物である恐竜にとっては、体温の保持にも繋がり、小さな生物でいるときよりも、もっと活動的になった、と考えられています。
しかし、中生代の末期に、恐竜は大量絶滅してしまいます。
これには、諸説ありますが、現在最も有力とされるのは、巨大な隕石の衝突によって、地球が寒冷化したことが原因なのでは、というものです。

巨大な恐竜たちが主役だった白亜紀ですが、その片隅では、ほ乳類の中から、霊長類が誕生しました。
誕生したばかりの霊長類は、サルというよりも、むしろネズミのような姿をしていた、と考えられています。
霊長類は、白亜紀のおわりの環境の変化をくぐりぬけ、生き延びました。

 

Reconstruction image of Archicebus
This is a watercolor illustration created by Mat Severson, which is based on a fossil of Archicebus achilles.
現在、化石で確認される最古の霊長類「アーキケブス アキレス」の想像図


参考:NHK高校講座 地学基礎
  :東海大学 自然史博物館
   http://ja.wikibooks.org/wiki/人類の誕生
http://ja.wikipedia.org/wiki/中生代

最古の霊長類化石が発見された
http://www.afpbb.com/articles/-/2948112 

中生代末の環境変化により、恐竜をはじめ、多くの生物が滅びていきました。しかし、生き抜いた生物たちも多くいました。その中に、私たちの祖先となる霊長類もいます。
このころはまだ小型のものだけだった、と考えられていますが、体温を保持する恒常性を獲得していたほ乳類は、この時代を生き抜くにはもっとも優れていた生物だったのかもしれません。
中生代に続く、新生代は、いよいよほ乳類の時代となります。

新生代には、第三紀・第四紀の2つの区分があります。
第三紀(6500万〜180万年前)
第四紀(180万年前〜現代)

まず第三紀は、植物にも大きな変化が起きていしました。急激な寒冷化によって、イネなどの草類の植物が増え、草原が広がっていったのです。そして、これを食べる草食ほ乳類が栄えていき、巨大化するものもありました。
霊長類生物も時代をおうごとに大きな種が現れます。すると、主に木の上が主体であった生活から、地上での生活が多くなって行きます。
4千万年ほど前ごろ、後足立ちができるものが現れ、3千万年前くらいには、尾のないサルが現れます。
400万年から300万年くらい前には、「猿人」に分類されるアウストラロピテクスが登場しています。
第三紀の終わり、200万年前になると、ホモ・ハビリス(1)と呼ばれる初期の人類が現れます。
石器を使っていたと考えられ、狩りの効率が上がった、と考えられています。

続く第四紀は、180万年前から現代までを含みます。
第四紀に入ると、人類はさらに脳を大きくした種が現れ、「原人」という分類になるものが現れます。原人は、それまではアフリカが中心だった生活域を大きく広げ、アジア圏にまで達しています。
また、第四紀には氷河期が再び訪れ、原人は体温を保持するために毛皮を身にまとっていた、と考えられています。氷河期に適応した他の動物の例として、巨大化したマンモスなどがいますが、人間の狩りによって、絶滅していった、と考えられています。また、こうした大型の動物を狙う肉食獣もいたので、人間も食物連鎖の一員として、厳しい生存競争の中にあった、といえます。
50万年くらい前になると、火の使用の痕跡が確認されています。また言語ももっていた、と考えられています。

50〜30万年前になると、旧人類に分類される、ネアンダルタール人が登場します。
脳はより大きくなり、葬儀を行った跡なども発見されています。

20万年前くらいに現代の私たちである新人類が誕生します。クロマニョン人などが有名です。

人類は、ここに記した以上に多くの種が誕生した、と考えられていますが、いまの私たちホモ・サピエンス以外は滅びてしまいました。

※(1)「猿人」に分類されます。初めてヒト属(ホモ属)に属する生物種だといわれています。

参考
さ・え・ら書房 目で見る進化P,70,71 
童心社 遺伝子・DNAのすべて 夏緑 著 P.64

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